フォレスト・ガンプ/一期一会
 

 

Forrest Gump



人生はチョコレートの箱みたいなもの。食べてみるまで中身は分からない
時は1981年、バス停のベンチに腰掛けたフォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)は、母の口癖を語りながら、バス を待つ人々に自分の半生について語り出しました…。

 1950年代、アラバマ州グリーンボウで少年時代を過ごしたフォレスト(マイケル・コンナー・ハンフリーズ)は幼少期から知能指数が人よりも劣り、背骨が曲がっている影響で足に矯正器具をしなければまともに歩くことすらかないませんでした。周囲から養護学校行きを勧められるなか、女手ひとつで我が子を育ててきたフォレストの母(サリー・フィールド)は他の普通の子と同じ様に育てたいと一般の公立小学校へと入学させてくれました。

 ある日、フォレストの家にエルビス・プレスリー(ピーター・ドブソン、歌声:カート・ラッセル)という若いギター弾きが訪れました。プレスリーは矯正器具をつけたフォレストの独特の動きに営業を受けて新たなパフォーマンスを考案、後に大スターとしてブレイクを果たしました。そしていよいよ入学初日、フォレストはジェニー・カラン(ハンナ・R・ホール)という少女と運命的な出逢いをしました。ジェニーは学校でいじめに遭うフォレストをいつも助けてくれていました。

 ある日、いじめっ子らに追い回されていたフォレストは、走って逃げているうちにいつの間にか矯正器具が外れ、器具がなくても走ることが出来るどころか、誰よりも速い驚異の脚力を身につけていました。かねてから父親から性的虐待を受けていたジェニーはそんな真っ直ぐなフォレストに惹かれていき、一緒に父親から解放してくれるよう祈りを捧げました。その願いが叶ったのか程なくして父親は逮捕され、他の家族に引き取られたジェニーはフォレストの近所に引っ越してきました。

 高校生になったフォレストはジェニー(ロビン・ライト)と仲良くしていましたが、相変わらず同級生からいじめを受け続けていました。そんなある日、いじめっ子から追いかけ回されたフォレストはアメリカンフットボールの試合真っ最中のグラウンドに入り込み、この時フォレストの足の速さを目の当たりにしたアラバマ大学のコーチに高く評価され、アラバマ大学へスポーツ推薦で入学を果たしました。

 アメフト部へ入部したフォレストはその脚力を活かして好成績を積み重ね、遂には全米代表に選出され、当時のケネディ大統領との面会も果たしました。一方、女子大に進学したジェニーには彼氏ができましたが、フォレストはお構いなしにジェニーに接触を取り続けました。やがてアメリカがベトナム戦争に介入していった時期に大学を卒業したフォレストは、陸軍からのスカウトを受けて入隊を決意、そこで出会ったベンジャミン・“バッハ”・ブルー(ミケルティ・ウィリアムソン)と出会って意気投合しました。バッハの夢は将来実家の家業であるエビ漁師を継ぐことでした。

 ベトナムへの出征前、フォレストは週刊誌に出たことがきっかけで大学を退学となり、ストリップ劇場で働いていたジェニーに暫しの別れを告げます。歴戦のベテランであるダン・テイラー中尉(ゲイリー・シニーズ)の小隊に配置されたフォレストでしたが、小隊は敵の待ち伏せに遭って壊滅状態に陥り、瀕死の重傷を負ったバッハは家に帰りたいと言い残して息を引き取りました。フォレストはダンを助けますが、ダンは両足を失い、「なぜあの時死なせてくれなかったんだ」とフォレストに詰め寄りました。
 
 野戦病院に収容されたフォレストは暇つぶしに卓球を始め、やがてその才能を開花させていきました。全米チームに選出されて帰国したフォレストは、戦友を救った勇敢さを讃えられて当時のジョンソン大統領から議会栄誉勲章を授与されました。フォレストはブラックパンサー同盟に加入して反戦運動に加わっていたジェニーと再会、自分の想いを伝えますが、立場の違う二人は一緒になることはありませんでした。その後もフォレストは卓球で活躍を続け、テレビのトーク番組でジョン・レノンと対談するまでになりました。

 数年後、除隊したフォレストは卓球で稼いだ賞金を元手に、亡き親友バッバの夢を叶えるために「バッバ・ガンプ・シュリンプ」を設立してエビ漁の事業に乗り出しました。途中で人生に絶望しきっていたダンも会社に加わり、フォレストは稼いだ金をバッハの遺族に渡し、様々な所に寄付していきましたが、故郷の母が癌に倒れ、フォレストは故郷に戻りましたが母は帰らぬ人となってしまいました。その後、フォレストはジェニーと再会を果たし、二人はしばらくの間幸せな時間を過ごしました。

 しかしある日、突然ジェニーが姿を消しました。数日間ほど放心状態に置かれたフォレストは、ふと理由もなく走りたくなる衝動に駆られ、家を出て走り始めました。フォレストは来る日も来る日もアメリカ大陸を走り続け、いつしかそんな彼の姿に共感した人々が一緒に走るようになり、マスコミはこぞって「平和を願って走る男」と取り上げ、やがて大勢の人々を巻き込んだ一大ムーブメントへと化していきました。しかし、走り疲れたフォレストは走るのを止めて家に戻り、そこにテレビを見たというジェニーから手紙が届きました…。
 
 そして1981年現在。バスを待つ人々に自身の過去を話し終えたフォレストは、バスに乗ってジェニーに会いに行こうとしていましたが、最後に話の聞き相手になってくれた人からジェニーの居場所がバスに乗る必要のない近所であることを知り、フォレストは近所でアパート暮らしをしているジェニーと再会を果たしました。

 ジェニーにはいつの間にかフォレストとの間に息子のフォレストJr.(ハーレイ・ジョエル・オスメント)が誕生しており、しかもジェニーはこの時不治の病に侵されていました。フォレストは故郷アラバマにジェニーを連れて行き、ようやく二人は結婚式を挙げることができました。式に駆け付けたダンも婚約者ができていました。

 その後、程なくしてジェニーは亡くなり、フォレストはかつて初めて出逢った頃に一緒に過ごした思い出の木の下にジェニーを埋葬、シングルファーザーとして我が子を育て上げる決意をしました。



公開されてからなかなか観ることが出来ずにいたのですが、ある日ふと観る機会があり子供と一緒にビデオで観ました。当時8才の娘<現在20代>にとっては2時間半というのはとても辛いと思ったのですが、最後まで息もつかずに観ていました。とても感動的で心に残るものがあったみたいです。今でも時々観たがります。彼女にとってはNo.1に匹敵する映画のようです。フォレストの純粋さが子供心に何か共感を与えたのだと思います。最後は決してハッピー・エンドではないのですが、何か心暖まるしみじみとさせるものがありました。また、トム・ハンクス演じる『フォレスト』の語りみたいなものが、子供にとっては判り易かったのだと思います。